5月 17

読み終わった。
かなり面白く読めた。

訳者あとがきで「哲学コント」と表してるようにコントだった。
この登場人物のポップさは、テリー・ギリアムの映画見てるみたいだ。
そこに絶望先生的に、不幸を客観視する皮肉っぷりが足された感じ。
岩波文庫の植田祐次訳オススメ。

 
前半は、哲学の師としてパングロス博士という
最善説=オプティミスムを説く人物が出てきて
主人公カンディードもそれを信奉している。
しかし、最愛の人と引き裂かれ、相次ぐ文字通り血みどろの
不幸にみまわれることで、この世の出来事は必然、
すべて最善に配列されているという師の説に、
中盤では次第に疑いを持ち出していく。
師も、前半半ばにはあらぬ罪を着せられ絞首刑で死んじゃった。
最善の配列の結果死んでしまった。

師の死を含め、様々な不幸の後,後半の頭あたりから
今度は、リアリスムというかペシミスム(悲観論)を代表する
マルチンという学者がカンディードの哲学相手として旅に同行する。
カンディードは次第にペシミスムに関心を持ち(最善説ほどまでには傾倒しない)
さらに、奇跡的に実は生きていた師と途中で再会して
オプティミスム的な意見も同時に語られてバランスをとっていく。

そして、波乱万丈だった運命の人ととの出会いの旅も、
かつて美しかった人が見た目ひどい醜女へと変わっていた
現実で締めくくられ、しかし責任から結婚して、
最後は質素な農作者の労働的生活に幸福を見出して終わり。
ペシミストのマルチンも、目の前の生活のための労働を肯定する。
オプティミストのパングロス博士は、人生は連綿と連なっている
一連の幸不幸があっていまのカンディードがいるんだ、と説く。
カンディードは、ご説ごもっともと受けつつも「しかし、
自分たちの庭を耕さなくてはなりません」と締めくって終わり。

 
 
何か第一印象はちょっと自分のイメージと違っていた。
自分が思っていた最善説というのは、現実にいま表れてる
身の回りの人生から、世界レベルの様々な善悪入り混じる事象は、
それ以上なかった過去の繋がりの結果としての今であり、
それ以外の世界はなかった、ifで語る今に価値はないという
意味において”最善”という言葉を扱うものと思っていた。

最も善いという意味ではなく、いまの世界や自分の選択してきた
現在を肯定する、それを語る作品かなーと思って読んでいた。
まぁ、言ってみればパングロス博士に半分近い意見だった。
半分というのは、神うんぬんや運命うんぬんという
形而上的視点はないという意味で。

けど、カンディードを分身としている?作者ヴォルテールとしては
最善説なんて信じられない、という目的でこれを著してたらしい。
訳者あとがきによれば。

 
 
でも自分が思うに、中盤でカンディードは最善説を放棄し始めたけど
後半の途中、運命の人との出会いの希望が叶いそうな場面では
カンディードはパングロス博士の最善説をまた支持していたりした。
つまり、運命が好転したら最善説に、悪転したらマルチンのペシミスムに
影響されたりと、あっちゃこっちゃした末に、悩みあげき、
最期の自分たちの畑を耕さなければならないというつつましい労働に着地した。
完全に、最善説を放棄した感じはなかった。

 
これは曲解に近いかもしれないけど、どんな状況であれ
あらゆる場面で人は目の前の対処に追われることに取組むしかない、
不合理に対してもそこに取組むしか無い、という全体の流れを
通して最善説を説いているのかもしれない。

運命が好転すれば最善に世界は配列されてるといい、悪転すればペシミスムへ。
そうやって右往左往しながらも、目の前のことに対処していかなきゃいけない。
最期の労働は、その一番分かりやすい、その時カンディードに必要な
ものとして、また一般的な身近な例としての分かりやすい例というか。
そうなると自分の考えと近くなる。
自分の都合のいいように寄せてどうする、って感じだけど(笑)

カンディードの考え方だけが作者の言いたいことだとすれば
何も最期の最期まで、憎きオプティミスムをパングロス博士に
長々と再度語らせる必要もないし。庭を耕さねば、の対比
だったかもしれないが、本当に最善説を敵視していたような
気配はあまり感じなかった。実は、庭を耕さなければ、は師への
否定ではなく、師の意を受けた上で、その最善説のためにも、
自分たちの未来を繋げるために庭を耕さなければならない、
だったのかもしれない。

 
結局、カンディードそれぞれの状況での思考の変化や選択、
パングロスやマルチン含めた全体として、作者の持つ最善説
オプティミスムな世界を語っていたともとれる気がする。
世界はもともと不合理・不条理なんだから、
それ以外には方法がないというか。

もし、運命や不条理を憎むんだったらもっと熱情的な
ニーチェ的な敵憎しの憎悪を書き連ねることもできたはずだ。
けど、そういう熱情は特に感じなかったな。

 
 
よくよく考えてみれば、いま見てる
四畳半神話大系も似たような主題だな。
ifの世界を繰り返して、最善の世界を探っている。

まだ、ラストどうなるのかわからないけど。
好機を掴むのかどうか。好機掴んだら自分的には
実にナンセンスな話になってしまうけど。
ifが収束したのちに、そこから好機を掴むなら未来の話だから別だけど。

過去のifを肯定したら、いまの自分って何?ということになる。
ならない人は過去に一切の後悔がない人だろう。
または、タイムトラベル可能にするドラえもんを押し入れに飼ってる人だろう。
というか、それ以前に、あそこまで明石さんのATフィールド
中和できてる主人公なら普通に結ばれるだろと思わないでもない。

小津の態度が一番、対不合理に対するいい態度だな。
自身が不合理の権化になってるし。城ヶ崎にも樋口師匠
どちらにも属し、どちらにも実は属さない。まさにトリックスターだ。
運命等の縛りから切り離されている。自由の体現みたいなものだな。

四畳半神話大系という題だけど、実は一番小津が神に近い。
日本神話のトリックスターはスサノオ、北欧ならロキといるけど
どちらもやはり敵味方無差別にいたずらした神だ。
小津が実は神だったりして(笑)

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