3月 20

ってなんて表音表意な表現なんだろう…
なんて考えてしまう朝6時。

 
よく80年代とか90年代とか10年一区切で評価するけど
よくよく考えれば、00年代ってもう去年で終わったのか。。。
そう考えるとすごい話だ。

振り返ってみると復活が多かったな。
ミュージシャンとか90年代に一区切り付けたはずの
グループが復活しまくって。

これ考えてみても、90年代の続きや
やり直しをしているような感じだ。
復活=切ったはずの関係をやり直したいという
人の関係性の時系列に乗っかっている訳で。

アニメといえば千と千尋と神霊狩くらいしか
インパクト受けたのなかったな。
あ、あとビバップの劇場版もか。
後はまぁどうでもいい消費アニメで。
鼻ほじりながら見ても全然問題ない感じ。
年齢を重ねてる影響排除しても、明らかに不作だった。
萌えとかいう悪質な菌・胞子に汚染された10年だった。

 
何ていうか誤りを認知するための
10年だった気がするな。

誤りを認識して復縁した後に待っているのは
過去と似たような衝突。このゴタゴタに対して
経験と自責の念からの我慢と若干の諦観、
相互理解からの本当の和解。

これがハッピーエンドのシナリオだけど…
同じ事繰り返す可能性も高そうだ。
00年代の地続き感の空気が世間にありまくりだし。
昨年末10年総括するようなメディアの動きも希薄だった。

 
とまぁ時代の輪郭を捉えようとしてみたけど
タダの個人の偏見・妄想の域を出ないんだろうな。
人や年齢によっては全く違う印象なんだろうし。
でも何だか捉えたくなっちゃうのよね~。




11月 01

鋼の錬金術師は、いまだに演出はあざといままか。
ひさびさに見てみたけど。
抜きとマジメがパターン化しすぎてて、どうも策に溺れてる感。
何をすれば飽きないか分かってる感じがするだけにおしい。
原作がそうなってんなら仕方ないけど。

笑いや緩さがベースにあってそこにマジメを乗せたほうがいいんだろうけど
それもやりすぎるとまた微妙だし。難しいなバランスが。
ルパン、ビバップ、シティーハンター…あの感じが一番ベターなんだけど。

 
 
いずれにしろ何か背負っちゃってます的なこと押される主役像は
重たいから嫌いなんだけども。言い訳がましい感じがして。
こんだけ背負ってるんだからしょうがないと初めから言いたげな感じで。

そういう吐露は、ここぞと言うときに1度だけ表現するから力があるのに。
ビバップのラストとか。そこまでは全部出さないで振り程度にしとくべきだな。
じゃないとリアルじゃない。誰しも秘密背負って生きてるっていうベースが
その手の記号が通用する共通基盤なわけで、俺の秘密をまず知ってよ、
みたいなのはタダうざいだけだ。隠して生きてるのが人なのに。
最初の1期?の鋼はそういう作りだったのかもしれないけど。
1期は見てないからわからないけど。

 
映画スタンドバイミーでも、親父バカにされるとスイッチ入ったように
切れるキャラがいたけど、危険を好んで道化をして一見自分を含む
すべてのものごとに無頓着でどこか自暴自棄気味という振りの後だからこそ
譲れないものがあるということが活きてくるというか。
何か背負うものあったから、ああいう性格になったんだな的な。
あれ順番逆にしたら単なるバカにしか映らないはずだ。
親父をいくら誇りに思ってたってそんな道化ばかりしてちゃな…みたいな感じで。

あのキャラがスタンドバイミーの中じゃ一番好きだな。
最後、強者である先輩たちが出てきたら身を引こうとする利巧さもあるし(笑
どのキャラにしろ全部アニメ的だったなスタンドバイミーのキャラは。

 
 
アニメとか映画とか見てて腑に落ちないな、何かつまらんなと思ったら
それがなぜなのか突き詰めると方法論が見えてきておもしろい。




6月 03

ふと常々考えてることに、ニュータイプ的ひらめきで一本の筋が通った。

 
善、善いこと、綺麗な事を追求しすぎたが故に
ナチズムや天皇万歳は成り立ち、密告は成り立ち、十字軍が成り立ち、
宗教戦争が成り立ち、喫煙者は少々過剰な社会的抑圧を受け、PL法は生まれ、
薬剤のネット販売規制につながり、蒟蒻畑は政府主導で一時販売禁止され
教育現場では順位付けしない徒競走など競争社会の事実を隠匿し、
その過保護の流れから青少年保護法は生まれ…(ry

と、これらすべては1つの事実から発した事態だと気づいた。
人は基本的に “善いことが好きという悪しき本質” を持っているという点において。

 
 
そりゃあ悪いものよりは当然善い物のほうがいい。
誰も悪い状況は避けたい。悪く思われたいとも思わない。
それは例えば体に善い食事など身の回りの話から社会的なものまである。

そのおそらく個人としての善が、個人主義社会として必須携帯の論理、
自分が嫌だと思うことは他人にはしない=自分が嫌だと思っていることは
他人(社会)にもされたくない、という転換を経て社会的な善の流れを作り上げ
その善を皆が無意識的に求めるようになると、やがては現実を無視しし始め
理想主義社会=社会主義・共産主義のトップダウンの管理社会が生まれる土壌となり、
社会から降りてきた観念的な善は、他を抑圧する大儀になり善は感染し
より強い善を崇める善のループ、スパイラルが起きる。
そして、突き詰め過ぎるとソ連を代表する理想社会と言われた
共産主義国家が崩壊したように自我崩壊する。
おそらく善という信仰を発端にこれらの歴史事実はすべて起こった気がする。

ブログの炎上とかあるけど、あれはいかにもネットらしい善意の皮を被った悪意の発露だ。
自分は善=多数派の側で物をいっているから、そこに反する意見は寄って集って
封殺・蹂躙してもいいという人間の凶暴性を善が露わにさせている。
煉獄への道は善意で舗装されているを地で行くとでもいうか。

 
 
 
日本もかなりの綺麗事が好きな世の中になっているというのはたぶん誰しも
感じているはず。そして、そこに何か違うなぁ?という感覚も持っているはず。
けど、誰もがその窮屈な状況を憂いながら、たぶん自分は
そこに加担しているつもりはないと思っているはず。
自分もそう思っていたけど違ったようだ。ショックだ。

つい最近銀座でダイヤモンドタダで配って騒動になってるニュースを見た。
平日の昼間っから何だこの気持ち悪い欲豚の群れは…エコバックでも似たことあったなと。
そう思っていたけど、実はこの意識がすでに社会に対して善いこと・綺麗事を
無意識に求めている自分であったことに気づいた。
こういう世間に流れる全うな”人間らしい醜い欲” を否定するところからも
たぶん善意で舗装された道は始まっている。綺麗事を外に求めるという点で両者は同じだ。
そしてメディアはそういう意識を伝播・増幅させる装置になっている。
日本のTV視聴時間は世界トップという話だけれども。余計に広範に影響が出やすい。
TVに限らずブログ炎上とか見る限りネットでも同じようなことは起きている。

こういう小さな意識の集合が、社会的に善を最上のものとして尊ぶ流れを作っている。
そして確かな正解ともいえないけど悪いことではないからとルールが出来上がる。
一見すると細かいルールが整った社会は成熟した社会に見える。
でも細かいルールが出来上がるほどに
個人の責任は薄まり社会的責任を問う流れが大きくなる。
過保護は社会主義ひいては管理社会へと傾倒する道になる。

 
 
もちろん個人レベルの手の届く範囲の善は全く持って悪いことじゃない。
ごみそこらへんに捨てないとか。分煙するとかの最低限の個人で出来るマナーは守るとか。
ところが、社会レベルの巨大なところで観念の形だけで実を持たない形で移行した途端、
善意は人を狂わせる化け物になる。それは大儀となり社会から降りてきたものであり
社会すべてに適用されるべきものと思い込むようになる。善いことなんだから、と。

歴史上起こったファシズムはいまから見れば簡単に悪と見ることができるけど、
その時代の大衆にとってそれは善だったからこそ成立し
そこに人は強烈に引き寄せられたはず。その時代に自分が生まれて
現時点で考えるのと同じような振る舞いができたかは怪しい。

 
行きすぎた善、善という信仰に注意を払っていないと自分も密かに、無意識に、
綺麗事が蔓延する社会を作ることに加担してしまっているかもしれないですね。
日本は特に昨今の規制・規制の流れから、その発展途上にある気がします。
世界史において宗教が大衆をコントロールするものだと言ったりするけど違う。
善が大衆をコントロールする。宗教がなくても善の下には人は集まる。

そういう意味では、銀座の騒動はいい思考実験だった。
これには君子豹変すとコペルニクス的転回が有効そうです。
自分を疑うことと1つの意見に固執せず、ひょいっと改められること。
そうすることで善をどんな場面においても唯一絶対の至上のものとする、
まるでかつての天動説のような誤りから自由になれる気がします。




5月 22

野村監督を見直したというか
再発見したというメモ。

 
 
野球熱なんて結局WBCで終わっていて
普段は日本プロ野球なんて見てないし
毎朝エンタメ番組のスポーツコーナーでやるから
うざいなーとしか思ってなかったんだけど。

そこに出てきた野村監督が田中投手を
神離れしたね、と評価した。
その前は、神様・仏様・田中様という評価だった。
うざいとか言いながらよく見てるな俺。

どういうことかというと、実力が”地に”足着いたものになって
不安定な運に任せる存在じゃなくなったということ。
それを”神離れ”と評価した。

 
なかなかこういう言い回しは同世代やそれ以下の世代からは聞かない。
それ以前に、映画違法アップロードする人間を神神いったり
ネットでは特にヲタ文化において神神カミカミうっさいくらいに
最上級の評価としてつけることがあるけど、まったく転換した見方だった。

だいたい、すごい人・偉人を神様扱いするってのが神道日本の基礎文化なわけで。
こないだやっていた浅草三社祭とか、あそこで奉られてるのは
観音像を隅田川から引上げた漁師だし。伝説では。

 
そこを神頼みの田中投手から神離れの田中投手と評価した。
はっとしたな。日本にニーチェがいたぞ!と。超人思想か!と。
神は死んだと同じレベルの力、意味を含んだ
言葉、言霊、真言=マントラとして自分の中に入ってきた。
なかなか現代にも哲学者と呼べる人はいるようです。




5月 02
はっぴいえんど BOX

はっぴいえんど BOX

2004年とか2005年頃出た限定版BOX。
リリースCD3枚にアウトテイク音源がプラスされていて
その他ライブもの等、貴重音源を全8枚にCD化したもの。
バンドスコアもついてます。

買ったとき18000円とかだったけど、
いまamazon見たら30000円くらいでプレミアがついていた。
お金に困ったら売れる財産がウチにもありました(笑

 
全CDがCD-Extra仕様で、買った当時はうまくEAC+CDDBで
トラック情報が取れず適当なリッピングで済ましてしまっていた。
それを今日3時間かけて全部flacでリップし直し&
ジャケットとレーベルをスキャンしました。
日本版freedbから情報引っ張ってこれるようになってた。
データ上げてくれた人に感謝 (-人-)

70年代のリールテープ収録?とはいえ全然音クリアです。
ライブ音源もクリア。っていうかCDが初めて登場したのっていつだっけ…。
とにかくかなり気をつかったマスタリングしたに違いない。うむ。
演奏が直に聞こえていいね、やっぱり昔のは。
 

foobar2000

foobar2000

そういえば、ギタリストの鈴木茂さんもこないだ大麻所持で
捕まってしまい果ては執行猶予付きの有罪になってしまって
リリース予定だったCDもなくなってしまいました。なんてことだ…。
ますますBOXにプレミアが……ちがうか(笑

はっぴいえんどの世界というか、70年代の空気は
大友さん漫画くらいしか情報源がないな自分の趣味範囲だと。
ちょうど『さよならにっぽん』という曲名の一部と同名タイトルの漫画がある。
漫画に出てくる芸能界御用達のまりこちゃんってのはマリファナ=乾燥大麻だろう。
こんなところでも両者は繋がっている(笑
ああいうというか、そういう時代の空気だったんだろうなぁ。
刹那的で退廃的ながら政治・音楽と社会が良くも悪くも
隔絶されることなくなんとなく繋がっていて熱があった時代。

・・・なんて、知らないが故にいろいろと妄想乗せて理想郷化してるけど、
ワカモノとしての時代感覚みたいのはそう変わらないか。
そもそも正しく比較できるもんでもないし。
1970年代と2000年代の両方で20代を過ごせる人はいない。

 
とりあえず全CDのカバー(500x500pix/png)を置いときます。
検索して来た人に幸アレ?。

松本隆の詩の世界は深いな?やっぱり。
詩だとしんしんしんが好き。
はっぴいえんども好き。

Disc1

はっぴいえんど

風街ろまん

風街ろまん

HAPPY END

HAPPY END

ライブ!!はっぴいえんど

ライブ!!はっぴいえんど

THE HAPPY END

THE HAPPY END

はっぴいえんど ライヴ・ヒストリー Vol.1

はっぴいえんど ライヴ・ヒストリー Vol.1

はっぴいえんど ライヴ・ヒストリー Vol.2

はっぴいえんど ライヴ・ヒストリー Vol.2

WITH はっぴいえんど -バッキング音源集-

WITH はっぴいえんど -バッキング音源集-