8月 23

レイトショーで観てきた。
おやすみプンプンで始まり中学生日記で終わる映画です。
そして、簡単にひとことふたことだけ。

アニメーションという多分に嘘を料理するメディアで
こういうレベルのこと言っちゃいけないと思うな。
というか、こういう題材を安易に扱うのは逆に危ない。

いや。安易なんてトンデモナイ話で作り手は大マジで
作ってるのかもしれない。でも、だとしたら余計に危ない。
「所詮これはアニメである」という根底の嘘を
作り手がすっかり忘れているように感じた。危ナイヨ。

 
 
 
# 2010.08.24追記 ※ネタバレ含みます

昨日の伊集院ラジオさっき聴いてたらカラフル見たらしく
あまり面白くないという感想とともに(ちなみにアリエッティは「普通」)
まんま自分と同じように”中学生日記”に例えていたな(笑)
あそこまで緻密にリアルに動かすならドラマの中学生日記でいいじゃん、と。
全く自分もそのとおりの感想。

90年代末に語られたようなテーマを、今の時代に、
しかも嘘まみれなアニメでやってるから上で危ないと評した。
自殺はダメなんて、嘘まみれ設定(前の自殺へ辿った自分を忘れ、もう一度自分をやり直す)
のアニメで言ったら、いま絶望の淵に立ってる学生の背中を押すだけだよ。
「所詮アニメの話だろ・・・」って思われて。

大マジで救いたいのかもしれないけど作り手は。
アニメにそこまでの力はない。あったとしても方法論変えないと無理だ。
アニメにはその力があると作り手は思いっきり勘違いしてて
アニメが大嘘メディアの代名詞だってこと忘れてしまってる感じ。
最終的なメッセージ性ために、都合いい設定並べてそこに導くのが
アニメなのに、それ忘れてよくこんなこと言えたなって感じ。

アニメ見てられるなんて相当お気楽な精神状態だよ。
いま学生で学校で悩んで明日にも自殺考えてる人間が見たらどう見えるか。
分析視点で「これも”1つのアニメの考え方”かぁ…」なんて見方してる余裕はないはず。
作り手の労働は死ぬほど凄まじく、アニメもリアルなのかもしれないけど。
けど作り手の都合と客の都合はイコールじゃない。

 
 
原監督がどの程度の絶望を体験してきたのか自分は知らないけども。
カラフル見た感じ、たいして知らないんじゃないかな。
映画いまを生きるのニールの親父が頭に浮かんだよ。
絶望を理解してるつもりで理解していないこの映画の感触には。

おかげで久しぶりにいまを生きるのVHSを掘り起こしていまさっき見返したけど。
こっちのほうがよっぽどオススメだね絶望学生には。
もしかしたらニールのようになってしまうかもしれないけど、
その前にもう一度挑戦できる力は得られるはず。




7月 18

レイトショーで見てきた。
よかった。かなりよかった。
危うく泣くところだった。

 
映画に粘りがあった。作られてる絵にも、
父親との距離感や少年の吐く毒といったキャラクターの存在感にも。
そういった意味でリアル。リアルな人と人との距離というか。

映画終わったあとにも残るものがある。地続き感がある。
あの世界が現実にあるとか小さな生き物を大切にしようといった
陳腐で具体的な地続き感というのではなく、もっと根源的な、
“生けるものが持ち発する存在感”みたいなものに地続き感を感じる。

 
新人監督ってことで宮崎監督の影響というか
学んだものを消化しましたYO感が随所に出てるんだけど
その監督らしい作家性もちゃんと出てたように思う。

最初のバッタとの疾走シーンで何かすでに来るものがあった。
バッタは影の主役かな。メインのキャラクターたちが作りだしてる世界と
至って近い別の世界が背後にあるよ、ってことを不意の幾度かの登場で伝達していた。
たぶん、無意識的にこれも映画からはみ出る地続き感を作ってるように思う。

ストーリーというかキャラクター動機面では、途中までちょっと
斜め上展開するんだけど、それもちゃんと終わり辺りで回収される。
ケルト音楽も最初のほうだけ唐突だなと感じたけど段々気にならなくなる。
気にしてた音楽負けはぜんぜんなかったな。
絵の粘りがちゃんと全体支えていた。

 
近年見てきたアニメ映画では1番かな自分の中で。
最後、そう来るのが分かってるのに、かつてのジブリ作品の
舞台設定の引用と明らかに分かるのに、そういった理性の分析を凌駕した
先に実ってるものがあるのを観るのはいいね。いい映画でした。

 
 
 
 
以下、上の補完。
汗まみれ宛に感想送った転載。
ネタバレ含むので注意。
かいつまみ転載なので尻切れです。
 

“借りぐらしのアリエッティを公開初日に見てきました。新人の方が監督ということですが大変よかったです。アリエッティと父親との距離感、少年の吐く毒、不意に何度か登場した影の主役たるバッタ等に生命感を感じました。と書くと大変軽い感じですが、もっと重たい、生けるものが持ち発する”存在感”みたいなものを感じました。そこがファンタジーながらある意味リアルでした。このキャラクター同士の距離感が、現実との地続きにあるようにこの映画を感じました。

宮崎監督のこれまでの作品ではどちらかというと人間の業が物語の歯車となり、その衝突が前面でドラマティックに働き背後にあった生命感・目に見えない命の存在感みたいなものを感じるのが難しかったんですが、アリエッティではそれがダイレクトに描かれているような気がしました。
それは、絶望に暮れ死にゆく過程にあった少年と、同じ死にゆく種族である小人がその運命に抗い命に責任を持つというテーマ性がもたらしたものが大きいかもしれませんが、それをちゃんと支える絵の世界・アニメーションの世界があったように思います。

宮崎さんは、自分が飛び上がりたい自由に動きまわりたい人に感じますが、米林さんはその地その場所で定点的にものを眺める視点を持っているように思います。父親の背中を眺めるアリエッティ、庭に横たわる少年を見る視点。このキャラクター同士の独特の距離感や、離れて外からどこか”中心”を眺めてるようなカメラの位置は米林監督の距離感だと思いました。

脚本が宮崎さんとのことで、これらの構造なりをどこまでが宮崎さんの手でどこからが米林監督の作り上げたものかわかりませんが…。下手したら宮崎監督じゃ同じニュアンスは表現出来なかったんではと思うほどです。動が作るドラマになりすぎてしまって。アリエッティでは静のドラマを感じました。”

 
 
 
2010.08.10 追記
昨夜の伊集院ラジオ聴いてたらアリエッティ話してて
またいろいろ思ってつぶやいてしまったので折角なので転載・追記
 

伊集院さんはアリエッティダメだったんだな。全部おまえの責任じゃんという感想。まったくその通りだけど最後謝るシーンあったことで、強がりで振舞ってたんだなと自分は考えたけど。あとは、借り暮らしじゃなくてあれはバンデッツだよねあきらかに、ってことくらいか気になった点しいて言えば。

あの不安定な何の根拠も持たない子供らしい抵抗も心地よかったな。大人になると大抵見て見ない振りしてなかったことにするか、仕方ないこととして自分の中に落とし込もうとするし。

少年の吐く毒=呪詛とアリエッティの吐く希望の祝詞はまるで鏡のように両者を結びつけてた。その流れであのラスト。そりゃ目からミネラル水も垂れそうになるさ原作ナウシカ以来の生命の抗いと責任という裏テーマをもってのあの終わりのない旅のように続いて行くラストはもう最高としか言い用がない。

宮崎さんのニヒリズムに落ち込んだところから見上げて見つめようとする希望っていうのが、すんごいストレートに出てた。脚本は宮崎さんだし。すごい自己葛藤なんだろうな。自己葛藤の薄い人には作家性出すことはやっぱり無理だ。薄くなる。弟子の庵野監督も同じもの身につけてたんだろうな、きっと。

とあるパーティーで宮崎さんがスタッフの女性につっかかられて「人間が滅んでいいというのはおかしいと思います!」に対して「人間なんて滅んだって別にいいんだ!他の生命が生き残っていれば!」って宮崎さんが怒鳴ったの聞いたとき、この人はすげーと思った、というのは外野にその時いた庵野監督の談

アリエッティたぶんみたであろう庵野監督をまたジブリ汗まみれに呼んでほしいなぁ。濃い話聴きたい。

 
※最後2つはあまり関係ないけどついで・・・




3月 10

レイトショー1200円で。

でも、何も今日行く必要はなかったな…。
行くときは雪吹雪いてるわ、帰りは雨で
足濡れるわ溶けた雪でこけそうになるわ。
 
以下ネタバレありです。
観に行く予定の人は読まないよう注意。

 
  
●よかった点
・銃撃シーンの張り詰めた緊張感。FPS好きにはまぁ観られる映画。
 ※劇中で360のギアーズオブウォーやってる(笑 そこはCoD4MWじゃないのか
  戦争の歯車的表現だったのかもしれないけど、そういう訴えの映画としては
  激しく弱かったような…。
・『山猫は眠らない』のような互いに狙撃し合うシーン。いずれにしろ戦場風景。

●悪かった点
・主人公がヒーロー気取りDQN&ナルシスト過ぎてあんなの戦場に居ていいわけない
・ドキュメンタリータッチなのは手持ちカメラ演出だけで、中身に文化性はない
・死亡フラグの立たせ方と成立が単純&甘すぎて萎える

 
 
これがアカデミー賞ですかー、ふーん。
まぁアメリカの映画賞だしな…っていう印象。

若者を戦争に送り出す映画としては、いい感じにうそぶいてて似合ってる感じ。
マッチポンプ戦争なの完全に抜け落ちてて、俺たちって大変だ、なので。
そこに絵面だけはリアルなドキュメンタリータッチなのがアクドイね。
劇中とEDには激しいヘヴィメタル掛かって戦場へ行け行けGO!GO!な感じ。

一応、文化的(考えさせる的)な訴求も、子供や赤ん坊を出したりして
見せてたけど、はっきりいって取って付けたようなもので感銘もなにも受けない。
そういった意味においての戦争映画としては凡作以下。

 
なので、いいのは戦闘シーンくらい。
張り詰めた緊張感あっていいです。

一人で見に行ったのに、思わず索敵シーンで、
「あっ、居た」とボソッと一人突っ込みが声に出てしまった(笑
隣と前とががら空きで、ほんと一人映画館状態だったので。
後ろにはそれなりに人もいたけど。
すぐ咳き込んでごまかした。

戦闘疑似体験、FPSゲームプレイを見に
行く感じでいけばまぁそれなりに楽しめます。
あのDQNな主役を脇に置いて見られれば。

 
 
あと女監督のせいかフラグの立たせ方が陳腐だった。
そこらへん映画らしいといえば映画らしい側面ではあったけど…。

丘陵地帯でイスラム系テロリスト犯2名捕まえた
現地民兵の格好に偽装した実は米兵チームと車両同士で落ち合う。
その2名のテロリスト犯らしき人間には賞金が掛かっている。
が、その最中にイスラム側狙撃兵に丘陵方向から狙撃され
捕獲チームのうち1名が死亡。場が戦場化する。

と同時に、2名のテロリストがこれを好機と脱走する。
逃げられたら賞金がパーだ!と捕獲米兵グループのリーダーが
自然塹壕から出て追いかけ、逃げた2名を撃ち殺す。
死んでてもお金は出るらしい。
が、その帰り際にイラク側狙撃兵に撃たれて死亡。
欲に目が眩んだら死亡ね。

ちなみに実際にイラクでは向こうにとってヒーローの狙撃兵がいたらしい。
 アメリカ兵を狙撃してる映像がネットに流されていたとか。
 その事実を模したものかもしれない。

 
 
もう1つは主人公3名チームの一人エルドリッチ?が
戦地で精神が不安定になり、若干偉そうな
上から目線の軍医のカウンセラがついていた。
エルドリッチは爆弾処理する現場に出ないと、
この恐怖はわからないと軍医のカウンセリングを突っぱる。

軍医は、じゃあ必要なら自分も現場へ行くと現場参加することに。
現場では軍医は現地民を丁寧に、危険な場所から追い出す役をかっていたが
何度話をしても通じずしまいには切れる。そして罵声を出して追い払う。

同時に主人公たちの現場処理も終わり、さー帰ろうとしたとき
地雷踏んだか起爆されたかで軍医が死亡。患者だった
エルドリッチは精神錯乱的に取り乱す。

若干偉そうな軍医の不慣れな現場参加で死亡ね。
が、主人公も結構似た暴挙をやってるのに生きてる不思議。

戦場で人の善悪を計って生きる死ぬ選ぶ神様はいないだろうに。
どんな善人だって死ぬときゃ死ぬわけで。そこらへんがリアルじゃない。
勧善懲悪がやはり結構大きくこの映画を背後で支配してる。

 
 
そして最後、タンクローリー爆発現場で3人しかいないのに
敵が闇に潜んでいると主役が言い出し、たった3人で夜の市街地を索敵開始。
その結果エルドリッチが分かれた路地で銃撃され連れ去れようとしてるが
それを主役ともう一人の仲間の黒人が見つけ出し助ける。
が、エルドリッチは敵の銃撃か味方の銃撃で足を負傷し翌日戦線離脱。
主役を罵倒してヘリで負傷帰還兵として運ばれる。

初めてやりたい放題だった主役を戒める的なシーンだったけど
あそこではエルドリッチ死んでないとダメだな。ここらへん甘い。

主要3名のメンバーは映画の伝達者・メッセンジャーだから
生かしておきました的な計算が見えてフィクション感が出てしまう。
そこらへん映画だなという感じ。

 
 
映画脚本的な生ぬるいフラグ処理と
対照的な手持ちカメラによるリアルな画面構成。
あまりこれがマッチしてなかったな。
そのおかげで絵面ばかり迫力出てしまった。

これ観て考えさせられるのは、マッチポンプ戦争完全に忘れてる映画だけど
これアカデミー賞受賞でいいんですか?という映画の外の話になってくるな。

リアルでは、すでに4000名以上の血がイラクの地に吸われたはずだけど
まだまだ死者増産してもアメリカ的にはおkなのかなーって映画でした。
主要3名じゃなくて、もっと歯車的に使われてること撮らないとダメね。

とりあえず絵面を楽しむだけで見に行く分には元は取れる気がします。
アカデミー賞=文化的側面のメッセージ性がある、と思うとあれ?となります。

 
 
ちなみに似たリアルな現場風景を再現した
映画としてはトラフィックが好きだ。
こっちは麻薬戦争の話。映像といい中身といい
鑑賞後の充実感は比べものになりません。
映画観たな…って感じになれます。ベニチオ・デルトロが渋い。

そういえば関係ないけどベニチオ・デルトロにそっくりな
目の下のくまみたいのもった日本の政治家いたなぁ。
名前分からないけど顔は浮かんでいる(笑




3月 09

『ハート・ロッカー』公式サイト.

見に行ってこよ。
珍しくミーハー衝動で。




1月 24

うーん。
いろいろ惜しいというか残念というか…。
ギリアムらしい場面はもちろんあるんだけども…。

ヒース・レジャーが亡くなって脚本を
変えざるを得なくなったのかなぁ。
最後20分まで話がまともに動かない。
最後20分もまとめに入ったから動いただけで。

しかも、何か知らんけど、ガッサガサと
ビニール袋永遠鳴らしてるアホ女がいて集中できなかった。
安いという以外に、こういうアホ避けるためにレイトショー選んでるのに。
まぁ外から食い物持ち込んでるような時点で、
元々どうしようもない人間なんだろうけど。

 
 
以下ネタバレありツッコミ。
一部思い違いがあるかもしれない。
頭のほう外道ガサガサ女(メガテン風)
のせいで集中して見られなかった。

まず鏡に入って得る効果の設定が分かりづらい&魅力的じゃない。
何をどうしたかったかはギリアム作品見てたら
何となく分かるんだけど、それがうまく説明しきれていない。
その結果、鏡が洗脳装置のような扱いになってしまって魅力がない。
たぶん見せ方を間違えたか、ヒース・レジャー亡くなって
脚本を改変せざるを得なかった(?未確認)影響かもしれない。

主役(導き役)が不在で見るべき位置が定まらない。
基本は永遠を生きることになった博士なんだろうけど
ヒース・レジャー他3名1役の男と、もう一人劇団の若い男がいて
両者、博士の娘に恋をしたりするんだけど前者は悪役、後者が善者=ヒーローにあたる。
これまでならその後者の男が、ずっと映画の主軸にいたんだけど
それが今回なかった。なのでどこを足場にして見て良いかが掴みづらい。
博士も博士で感情移入がしづらい。理由は次。
 
博士の娘への愛情がちぐはぐ。
過去の悪魔との契約で、娘が16歳になったら渡さないといけない。
それを阻止するために博士は必死に悪魔との賭けに勝とうと、
己の信者を獲得しようとするんだけど、娘に契約の生け贄であること伝えて
娘がダークサイドへ落ちていったら「もうだめぽ。もう止められない。」
とすぐ諦めちゃう。これじゃ娘を守りたい動機と折り合いが着かない。

ヒースレジャー他3名一役が演じた男は、
まぁ悪徳詐欺師的な立ち位置でまぁ悪役といえるんだけど
それを悪魔が狩りたがる理由がわからない。

男は表向きは孤児など?子供を助ける慈善事業の事業者。
しかし、裏では子供を臓器売買の道具として利用する悪人。
フツー悪魔とされるものならこれは礼賛すべき対象では?
けど悪魔はその男を狩りたがっている。しかし、運が元々強い&
額の魔除けの印?という設定でもって成就できていなかった。

そして、映画の後半、悪魔は博士に新たな賭けを提案し
もしその男を代わりに殺してくれたら娘を奪わないで
やってもいいと言われ、博士はその男を奸計でもって殺す。
博士は賭けに勝ったけど悪魔は娘のことなぞ知らないという。

で、映画の最後には博士は行方知れずだった娘が無事であったことを見つけ
ヒーローの男を旦那とし理想の家庭を築けたことを確認してよかったとなる。
自らの永遠の命に終止符を打つという悪魔との賭けはお流れになって
そのまま悪魔とともに永遠に語り続ける存在となっておしまい。

 
 
いろいろ含蓄を込められる設定はあったけど不完全燃焼感がやっぱり強い。
ヒース・レジャーが途中で亡くなったせいってのもありそうだけど
それ以外に、監督が年老いたせいというのもありそうだ。
なんかポニョを見終わった後のもやもや感にかなり近いものがある(笑

# このもやもやの中身がわかった。厭世感だな。
# ポニョにもこの映画にも漂うものといったら。
# 大変似ている。世俗を忘れたい感が強い。

惹き付けるイメージ・映像は作り出せているんだけど
それを筋が通るものとして集約しきれなくなっているというか。

残念でもあり時代は終わるものかと認識せざるを得ないなぁ。
だったら、もう抵抗せずに両者のドキュメンタリーを見たい。
たぶんそっちのが映画になる。

 
にしても映画館が元々好きじゃないのを
外道ガサガサ女のせいで思い出してしまったな。
劇場にいる全員が、同一のマナーで映画見るなんて土台無理な話だった。
ここ数年まったくの他人と同一空間で長居することのない
環境だったから性悪説という考え方を忘れていたよ。

 
 
# 劇中のテーマ性を孕んだ言動や内容の覚え書き(間違い&かいつまみあり)
・言い間違い(劇団若者。識域下から意識下。現実と鏡世界の対比。)
・鳥の糞と悪魔という内容を物語る別の何者か。
・タロットカードを信じる博士。
・偶然はなく、すべては必然。起きる事象には意味がある。
・黒魔術なんてない。すべてはタネのあるトリック。
・もう選択したくない(博士)
・物語にハッピーエンドの保証はない(博士。監督のユーモア?)
・総体として、現実に押しやられる物語と夢の世界、という根底の流れ

うーん、こう並べてみるとやっぱり年老いてしまったのが大きいのかなぁ。
博士に監督自身を投影してしまっているように見える。